ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

主の御名で歓迎します 자세히보기

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2022-12-04 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.12.04 1、2、3、4部 ▷ 招詩 (イザヤ書40:6~8) ▷ 賛美歌105番 (旧105番) 主の道を用意せよ (ルカの福音書 3:2~6) クリスマスになる前の4週間を待降節と言います。この期間は、イエス・キリストが来られることを期待しながら準備する時間です。私たちはイエス様を信じ、神様の子どもとして生きる間、信仰の人になって、いつも主を迎え入れる準備をしなければなりません。 1.バプテスマ・ヨハネに臨まれた神様の御言葉 神様の御言葉が野原で寂しく過ごしていたバプテスマ・ヨハネに臨まれました。野原は何もない寂しく孤独な場所、絶望の所を意味します。このように、孤独な環境の中でバプテスマ・ヨハネは神様の御声を聞きました。主が来られる道を用意する私たちの人生にも、まず先に神様の御言葉が臨まれなければなりません。時に野原と荒野のような寂しい場所に立ているとしても、そこで主の..

2022-11-27 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.11.27 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩編100:1~5) ▷ 賛美歌288番 (旧204番) 絶望を超えて希望へ (列王記第二 4:1~7) 世の人々は絶望の中でさらに絶望を見て落胆し挫折しますが、信仰の人たちは、絶望の中で希望を見上げ、信仰をもって前進して行きます。神様の子どもになった私たちは、いくら苦しい状況が近づいてきても絶対肯定の信仰をもって耐え忍びながらすべての苦しみを乗り越えていかなければなりません。 1.絶望は希望の種 預言者エリシャのある弟子の妻が彼の所にきて叫びました。その女性は、夫が借金を残して亡くなったため苦しい状況に置かれていたかわいそうな女性でした。さらに悪いことに夫の借金により二人の息子すら奴隷として売られてしまったため、もっと深い絶望に置かれていました。時に人生を生きていると、人間の力では耐えられない大きな苦難が近づいてくる時があります。その時..

2022-11-20 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.11.20 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩編136:1~4、24~26) ▷ 賛美歌589番 (旧308番) 真夜中ごろ捧げられた祈りと賛美 (使徒の働き 16:25~26) 一年の間、神様が施してくださった恵みに感謝の礼拝を捧げる収穫感謝主日です。罪の中で生きていた私たちがイエス様を信じて神様の子どもになったのは一世一代の奇跡であり、祝福であり、恵みであります。それゆえ私たちはどのような状況の中でも一生涯感謝の人生を生きていかなければなりません。使徒パウロがピリピで罪もない状況で殴られて監獄に投げられた時にも祈り神様へ賛美を捧げました。その苦難の真夜中に使徒パウロはどのような祈りと賛美を捧げたのでしょうか。 1.感謝の祈りと賛美 パウロとシラスは苦難と絶望の真夜中、神様に祈りと賛美を捧げました。その賛美がどれほど素晴らしく恵まれたのか、ぐっすり寝なければならない囚人すら耳を傾..

2022-11-13 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.11.13 1、2、3、4部 ▷ 招詩 (箴言3:5~8) ▷ 賛美歌545番 (旧344番) 夢見る者がやって来た ( 創世記 37:18~20) 信仰の先祖たちの記録が書かれているヘブル人への手紙は「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」と語られます(ヘブル11:1)。このように信仰というのは、夢見て信じ求めることです。神様を信じる私たちは一度きりの人生を生きている間、確かな夢と人生の目標をもって生きていかなければなりません。 1.尊い夢を見る ヨセフは将来神様が自分を高めてくださることを夢見て信じました。しかしヨセフが自分が夢見たことを兄たちに告白した時、兄たちはヨセフを憎み始めました。ヨセフの兄たちは、人生に対する夢とビジョン無しに生きていた一方、ヨセフは、いつも夢を見ながら生きていたからです。今日、私たちも神様が各々に与えられた使命が..

2022-11-06 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.11.06 1、2、3、4部 ▷ 招詩 (詩編8:1~5) ▷ 賛美歌36番 (旧36番) 聖霊充満の奇跡 (使徒の働き 4:29~31) 聖霊充満を受けたペテロとヨハネは、生まれつき歩けない人をイエス様の御名で癒した後、この話がエルサレム全域に広がり、教会に大きなリバイバルが起こりました。同じように今日、教会のリバイバルの奇跡の中で一番重要なことは、聖霊充満にあります。 1.信じる人が持つ権威 当時大祭司長と指導者たちは、もうこれ以上イエス様の名前が広がらないように、ペテロとヨハネを捕らえて、牢に入れました。彼らがペテロとヨハネに何の権威と誰の名によってこのことを行ったのかを聞いた時、ペテロが聖霊充満になって「この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、ナザレ人イエス・キリストの名によることです」と大胆に宣言しました(使徒4:10)。結局ペテロとヨハネは彼らの手がら自由に..