ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

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2023.05.21 주일설교요약(이영훈목사)

2023.05.21 2、3、4部 ▷ 招詩 (ヨハネの福音書4:24) ▷ 賛美歌28番 (旧28番) 昨日も今日も明日も助けてくださる神様 (サムエル記第一 7:10~12) 士師時代預言者サムエルの時、イスラエルは神様の恵みでミツパでペリシテ人を退きました。その恵みに感謝して石を立てて「エベン・エゼル」と名付け、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と告白しながら神様に感謝と栄光を返しました。この石は万歳岩になられるイエス・キリストを象徴します。このように救いの岩、助の岩になられるイエス様が私たちととこしえまでともにしてくださいます。 1.昨日私たちを助けてくださった神様 神様から離れたイスラエル民たちはペリシテ人の攻撃により敗北してしまいました。それにより命のようである神の箱をペリシテ人に奪われてしまいます。イスラエルにはすべての希望と喜びがなくなり、大きな絶望に捉われました..

2023.05.14 주일설교요약(이영훈목사)

2023.05.14 2、3、4部 ▷ 招詩 (ヨハネの福音書4:24) ▷ 賛美歌510番 (旧276番) 毎日加えて一つにしてくださった (使徒の働き 2:42~47) 五旬節聖霊降臨後、使徒ペテロがメッセージをする時一日3千人が悔い改めて主に立ち返る驚くべき奇跡が起こりました。その日以後、エルサレム教会は日々信じる人々が増えて行き爆発的にリバイバルしました。それではエルサレム教会に起こったリバイバルの秘訣は何でしょうか?. 1.使徒たちの教えを守り エルサレム教会の聖徒たちは使徒から教えられました。信仰は、神様の御言葉を聞くとき生じます。そして御言葉をアーメンとして受け入れると私たちの人生に神様の恵みと祝福が与えられます。しかし私たちが御言葉に根を下ろせないと人生が乾き、霊的な日照りが近づいてきます。それゆえ流れのほとりに植えられた木のように御言葉の水が充満になって、豊かな実を結..

2023.05.07 주일설교요약(이영훈목사)

2023.05.07 2、3、4部 ▷ 招詩 (ヨハネの福音書4:24) ▷ 賛美歌183番 (旧172番) 聖霊の時代 (使徒の働き 2:17~18) 今日私たちは、聖霊の時代を生きています。聖霊充満を受けると悪しき働きが追い出され、たましいが幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康になる豊かな恵みが与えられます。イエス様を信じる私たちは力ある信仰生活、勝利する人生を生きるため必ず聖霊充満を受けなければなりません。 1.最後の時臨まれる聖霊 約2千年前、イエス様が昇天された後、10日目になった五旬節の日、聖霊が臨まれました。その日、風のように、炎のように、聖霊が臨まれるとすべての弟子たちは他国のことばで異言を語り始めました。それだけでなく、ペテロがメッセージを宣言した時一日3千人が悔い改めて主に立ち返る驚くべき奇跡が現わされました。その時から今まで2千年間、教会の歴史の中で聖..

2023.04.30 주일설교요약(이영훈목사)

2023.04.30 2、3、4部 ▷ 招詩 (ヨハネの福音書4:24) ▷ 賛美歌384番 (旧434番) 金のように出て来る (ヨブ記 23:10) この世のすべての人は一度きりの人生を生きていく間、幸せに生きることを願います。しかしこの世で真の幸せを探すことができません。イエス様を信じる私たちだけが、イエス様の中で希望と意味がある真に幸せな人生を生きることができます。 1.私の人生の主観者になられる神様 神様は私たちの人生の主観者になり、私たちの一挙手一投足を知っておられます。そして神様の人ダビデは「ことばが私の舌にのぼる前になんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます」と告白しました(詩篇139:4)。それゆえ私たちはいつも神様の御前で「コラムデオ」の認識をもって生きていかなければなりません。信仰の人になって神様を喜ばせる人生を生きて行ってください。ただ神様だけを愛し、信じ..

2023.04.23 주일설교요약(이영훈목사)

2023.04.23 2、3、4部 ▷ 招詩 (ヨハネの福音書4:24) ▷ 賛美歌369番 (旧487番) 空船の人生 (ヨハネの福音書 21:1~6) この世を生きているほとんどの人々が夢と希望もないまま苦しみと絶望の中で生きています。このように絶望に置かれている人々に誠の希望を与える唯一のお方は、人類の希望になられる救い主イエス・キリストだけです。 1.空船の人生 イエス様から離れた人生は結局空船の人生になってしまいます。ペテロはイエス様の弟子の中で一番偉い弟子でしたが、イエス様が捕まって行った時イエス様を知らないと3度も否認しました(マタイ26:74-75)。それにより失望感と罪責感に捕らわれたペテロは、イエス様に出会う前の姿である漁師の姿に帰りました。すべてのことを捨てて全的でイエス様に従っていたペテロがイエス様を否認し呪った裏切り者になり、昔の姿で帰って行ったことです。この..