ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

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2022-09-25 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.09.25 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇91:14~16) ▷ 賛美歌382番 (旧432番) 平安を与えるためである (イザヤ書 38:1~3、17) この世を生きる間、誰にでも死は近づいてきます。そのため神様の子どもになった私たちはどのような人生を生きるのかだけでなく、どのような姿で死を迎えるのかに関しても大切に考えなければなりません。 1.病気になって死ぬようになったヒゼキヤ王 ヒゼキヤ王が病気になった時、預言者イザヤが訪れて、彼が死ぬようになることを伝えました(イザヤ38:1)。ヒゼキヤは、一生涯神様に仕えた王でした。宗教改革を通して偶像と高き所を打ち壊し、神様だけ全的に委ねてアッシリアの大軍を追い払うことができました。しかし偉大なヒゼキヤ王も重病にかかり死の前に置かれたのです。このように人間の生老病死は、全て神様にありますので、すべての人は各々に任された人生を生き..

2022-09-18 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.09.18 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇47:1~4) ▷ 賛美歌507番 (旧273番) 十のことばの恵み(Ⅱ) (マタイの福音書 22:35~40) 十のことばの1~4の戒めは神様に対する戒めであり、5~10の戒めは人に対する戒めです。十のことばの共通点は正に愛です。十のことばの中で第一番目の戒めは神様を愛することであり、第二番目は隣人を愛することです。 1.戒めの根本精神 戒めの根本の精神は、裁きと刑罰ではなく、赦しと愛です。神様の私たちへの愛により、私たちの罪を贖うため一人子イエス様を和解のいけにえとして十字架にかけて死ぬようになされました。このように私たちに向けた神様の愛は一方的な愛であり、返すことのできない無条件的な愛です(Ⅰヨハネ4:10-11,19)。十字架の愛の完成は、神様を愛し、隣人を愛することです。イエス様が十字架でその愛を完成されたように、神様の子供..

2022-09-11 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.09.11 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇18:1~3) ▷ 賛美歌305番 (旧405番) 十のことばの恵み(1) (マタイの福音書 22:35~40) イスラエルの民が430年間エジプトで奴隷生活をしていましたが、神様の恵みにより解放され荒野の道を歩いていた時、神様がモーセに十のことばを与えられました。その時から今まで、この十のことばはイスラエルの精神的な指針と人生の原理になりました。 1.戒めの根本精神 イエス様の公生涯当時、イスラエルの民は十のことばを持って613の戒めを作って守り行いました。ある日、律法学者がイエス様に尋ねました。“先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。”と聞きました(マタイ22:36)。イエス様は自分を試すために聞いている律法学者に“神様を愛し、あなたの隣人を愛しなさい”と語られました。戒めの根本精神は愛であるためです。イエス様が語られた愛は一..

2022-09-04 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.09.04 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇37:3~6) ▷ 賛美歌341番 (旧367番) 導き (民数記 9:15~17、21~23) 人生を生きていく間、時には道を失い迷う時があります。今はナビゲーションが道を導くように、イエス様を信じる私たちは我が人生を正しい道へ導かれる全能なる神様だけ見上げて進んで行かなければなりません。 1.幕屋を覆った雲 天幕を覆った雲は、神様の臨在を象徴します。雲が会見の天幕を覆った時、主の栄光が幕屋に満ち(出40:34-35)、主の宮が建てられた時にも神様の臨在で主の宮が雲で満ちたと語られます(Ⅰ列王8:10-11)。私たちの自らの力では問題多いこの世の中で勝利して生きることができません。主が私たちを助けてくださり、神様の霊である聖霊様の臨在が必要です。日々聖霊に満たされて私たちの人生を通して神様の栄光が表れる人生を生きて行ってください。そ..

2022-08-28 주일설교요약(이영훈 목사)

2022.08.28 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇112:1~6) ▷ 賛美歌324番 (旧360番) 主が私を呼ばれる時 (サムエル記第一 3:8~11) 私たちはイエス様の中で新しい被造物になったため、一日を生きても正しく生き、意味あり、やりがいある幸せな人生を生きていかなければなりません。過去に縛られたまま傷と失敗に留まることなく、信仰を持って前を見上げて前進していかなければなりません。 1.サムエルを呼ばれる神様 神様は霊的に鈍って、神様の御声を聞けなかったエリ祭司長の時、幼いサムエルを呼びました。当時エリ祭司長には神様を知らない二人の子供がいました。エリの息子たちは神様に捧げる生贄にむやみに手を出し、あらゆる淫行も繰り返しました。エリ祭司長は二人の息子をとがめて正しくない行動を正すことなく、エリの息子たちも父親の話に耳を止めませんでした。結局罪から立ち返れなかった彼らを神様..