ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

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2022-05-08 주일설교요약(이영훈 목사님)

2022.05.01 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇103:1~5) ▷ 賛美歌304番 (旧404番) 下向きの愛 (マタイの福音書 7:9~11) 5月は「家庭の月」です。両親は子どもがいることに感謝し、子どもは両親の恵みに感謝する月です。神様が私たち人間に与えられた一番大きい祝福は両親を与えられたことです。両親により今日の私たちが存在することができます。両親の愛は下向きの愛です。その愛は神様が与えられた愛です。 1.両親の愛 両親の愛は、無条件的な愛であり、下向きの愛です。両親の愛に感謝しながら、全家族が愛で一つにならなければなりません。両親が先に私たちを、愛を持って守ってくださったので、子どもになった私たちも両親を、真を持って愛し、仕えなければなりません。十戒の1~4戒は神様に対することであり、5~10戒は人に対することです。しかし人に対する戒めの中で最初の戒めが「あなたの父と..

2022-05-01 주일설교요약

2022.05.01 2、4部 ▷ 招詩 (詩篇26:1~4、11~12) ▷ 賛美歌288番 (旧204番) ただ信仰によって (へブル人への手紙 11:1~6) 主の中で勝利する信仰生活の秘訣は、絶対肯定の信仰を持って、御言葉充満と聖霊充満な信仰によって祈りと感謝の人生を生きることです。このように信仰の人として人生で重要なことは、信仰の人として生きることです。 1.信仰は夢見ることです 信仰は夢見て、望んでいることが既に成し遂げられたと信じることです(へブル11:1~2)。私たちが肉身の目に見えることだけ見つめると、神様から与えられた夢の通り生きることができません。信仰の目、霊の目が開けられる時、肉身の目では見えなかった神様の御働きを体験しながら生きることができます。ヨセフは神様が与えられた夢を信仰によって握りました。兄たちによりエジプトへ奴隷として売られて、濡れ衣を着せられて監獄..

2022-04-24 주일설교요약(이영훈 목사님)

2022.04.24 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇32:7~8、10~11) ▷ 賛美歌379番 (旧429番) 人生の道をともに歩まれるイエス様 (ルカの福音書 24:13~16、30~32) 春、夏、秋、冬の季節があるように私たちの人生にも希望の春、情熱の夏、収穫の秋、苦難の冬が近づいて来ます。このように人生の道には笑う時もあるし、泣く時もあります。全てが自分の計画通り進まず、下り坂のような人生を生きるように感じる時、私たちはどのようにこの苦難を乗り越えることができるでしょうか。 1.下り坂を歩いている二人の弟子 イエス様の二人の弟子は、イエス様の十字架の死後、大きい絶望の中でエルサレムから離れてエマオへ向かっていました(ルカ24:13-14)。その道は落胆の道、絶望の道、悲しみの道でありました。エマオへ向かう二人の弟子の姿は、今日私たちの姿と一緒です。世の多くの人々がコロナウイ..

2022-04-17 주일설교요약(이영훈 목사님)

2022.04.17 2、3、4部 ▷ 招詩 (コリントⅠ15:51~54) ▷ 賛美歌164番 (旧154番) なぜ泣いているのですか。だれを探しているのですか。 (ヨハネの福音書 20:11~16) イエス・キリストが罪と死亡の権威を打ち勝ってよみがえられました。イエス・キリストのよみがえりは人類の歴史上最大の奇跡であり、祝福であり、恵みであります。イエス様の十字架の死とよみがえりにより罪の中で生きて来た全人類に救いの道、永遠の命の道が開かれるようになりました。 1.泣いている人 イエス様のよみがえりを最初に悟った人は、マクダラのマリアでした。マリアにとってイエス様は命の恩人であり、絶対希望を与えられたお方です。七つの悪霊につかれて蔑まれて軽んじられ、絶望の中に置かれていた時、イエス様が悪霊を追い出してくださり新しい人へ変えてくださいました。マリアは真を持って愛し、信じ委ねていたイ..

2022-04-10 주일설교요약(이영훈 목사님)

2022.04.03 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇53:4~6) ▷ 賛美歌151番 (旧138番) 赦しと自由 (ルカの福音書 23:33~34、39~43) イエス・キリストの十字架の苦難を記念する受難週間です。私たちすべての罪を贖うためイエス・キリストが十字架に掛けられたとき語られた言葉を「十字架上の七つの言葉」と言います。苦難の十字架上で一番先に語られた言葉は「彼らをお赦しください」という赦しの御言葉でした。このように十字架の恵みは罪から赦された恵み、赦しの恵みから始まります。 1.赦しの恵み イエス・キリストが十字架で尊い血潮を流されて亡くなられた理由は、全ての人類の罪を赦すためでした(エペソ1:7)。人間は誰も罪の中で生まれて、罪の中で死ぬしかできない罪人です。しかし罪のないイエス様が自ら十字架につけられたことにより私たちの全ての罪を値無しに赦してくださいました。それゆえ..