ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

主の御名で歓迎します 자세히보기

資料/メッセージ要約 101

2021-07-04 설교요약

2021.07.04 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇54:4~6) ▷ 賛美歌94番 (旧102番) ベテスダの恵み (ヨハネの福音書5:2~9) 出会いはとても重要です。誰と出会うのかによって人生の幸せと不幸、成功と失敗が決定されます。しかしイエス様との出会いは他のどのような出会いよりも重要です。間違えた出会いにより人生が砕かれてボロボロになったとしてもイエス様と出会うと回復と祝福の恵みを享受することができます。 1.ベテスダの池 エルサレムの羊の門の近くにべテスダという池がありました。べテスダは「慈しみの家」という意味です。当時の人々はべテスダ池にたまに御使いが降りてきて水をかき回しますが、その時その池に一番早く身を入れる人の病は癒されるという話を信じ込んでいました。そのため多くの病者たちがべテスダの近くで集まっていました(ヨハネ5:3~4)。このべテスダの池は今日の教会を意味しま..

2021-06-27 설교요약

2021.06.27 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇66:1~4) ▷ 賛美歌15番 (旧55番) 主は苦しむ民を救い (詩篇18:27~30) 苦難が辛いのは、私たちの自我が生きているからです。自分に集中していた視線を返してイエス様を見上げると、大きな山のように感じていた問題もどんどん小さくなり、恵みの中で平安を享受するようになります。苦難が迫って来ても落胆せず主だけ見上げながら賛美と感謝で進んで行きましょう。 1.苦しむ民を救われる神様 主は苦しむ民を問題と辛さから救い出してくださいます。苦しむということは、苦しみに遭って弱くなった状態を意味します。430年の間、エジプトで奴隷生活をしたイスラエル民族の状態が正にそうような状態でした。彼らは苦難の中で嘆きながら神様に叫び、神様がその叫びを聞いて答えられたため、出エジプトの奇跡を与えられました(出2:23.3:37)。私たちが苦しみの..

2021-06-20 설교요약

2021.06.20 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇121:1~2、5~8) ▷ 賛美歌393番 (旧447番) 世界の面を実で満たす (イザヤ書27:2~6) 私たちはイエス様を信じてから神様の民になりました。神様は愛すると決定し、選んだ民を捨てず愛してくださいます。人の愛は変わりますが、神様の愛は永遠です。神様のその素晴らしい愛の中で満ち溢れる喜びと平安を享受するようにお祈り致します。 1.麗しいぶどう畑 預言者イザヤが語るぶどう畑は神様が選ばれた民族、イスラエルを意味します。神様はイスラエルを麗しいぶどう畑として培って愛されました。しかしイスラエルは神様の期待と反対に甘いぶどうにならず食べれないに酸いぶどうになりました(イザヤ5:2)。イスラエルが神様から離れて偶像崇拝をし、罪を犯して堕落してしましました。神様はイスラエルを懲らしめましたが、彼らがまた立ち返ることを願われました。..

2021-06-13 설교요약

2021.06.13 2、3、4部 ▷ 招詩 (イザヤ書40:27~31) ▷ 賛美歌214番 (旧349番) 火から取り出した燃えさし (ゼカリヤ書3:1~5) 人生を生きてみれば多くの問題に遭うようになります。他人や間違えた状況により問題が起こったり、時には自分のミスにより問題が起こる場合もあります。どのような場合にもイエス様を信じる私たちは問題により落胆し、絶望する必要がありません。主が共におられることを信じて出て行くと、全ての問題を乗り越えて行き、勝利の人生を生きることができます。 1.火から取り出した燃えさしイスラエル 預言者ゼカリヤが言う火から取り出した燃えさしは、バビロンの捕虜となって70年間苦しみを体験したイスラエルの民族を意味し、大祭司長ヨシュアはそのイスラエルの民族を代表する人物です。しかし神様が大祭司長ヨシュアを苦しめるサタンを責めました。サタンはいつも神様の民を..

2021-06-06 설교요약

2021.06.06 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇31:21~24) ▷ 賛美歌382番 (旧432番) 何も思い煩わないで (ピリピ人への手紙4:6~7) 使徒パウロは福音を伝える途中、監獄に閉じ込められますが、何も思い煩わず恐れませんでした。むしろピリピ教会にいる聖徒たちに手紙を送って、いつも主の中で喜び、祈り、感謝しなさいと勧めます。 1.思い煩わないでいなさい イエス様は世のものにより心配しないでいなさいと語られました(マタイ6:25,31)。そのような心配と悩みは、私たちを心の病にかかるようにします。人生の中で自分の力と能力で解決できない苦しみが近づいてくると、自分も知らないうちに心配と悩みが入ります。その時には早く祈りの場に出て行かなければなりません。主の御前でひれ伏さなければなりません。祈りだけがすべての問題を解決する鍵になるからです。イエス様に向かう信仰を持って、心を..