ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

主の御名で歓迎します 자세히보기

전체 글 533

4月14日

存在による感謝 神の恵みによって、私は今の私になりました。(Ⅰコリ15:10) ヘンリー・デイヴィッド・ソローは「私は自分がこの世に存在することと自分が持っていることに感謝する。だから私の感謝は続く。」と言いました。多くの人が自分が得たもの、持ったものによって感謝します。自分の地位と名声によって感謝します。そのような感謝は外的なことによる感謝です。しかし、ソローは自分が持っているもの以前に私がいまここに存在すること、いま呼吸できて、いのちを持って生きていることに感謝すべきだと言いました。自分がこの地に存在することによる感謝は、所有による感謝よりももっと高いレベルの感謝です。そしてこのような感謝は最終的には神様に対する感謝へとたどり着きます。神様は私たちにいのちをくださった方だからです(詩36:9)。自分のいのちが神様から来たことを知っている人はいつも謙遜です。いつも神様とともに歩みます..

4月13日

クリスチャンの自尊心 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。(イザ43:4) 心理学者のナサニエル・ブランデンによれば、自尊心の核心は「自己効力感(self-efficacy)」と「自己尊重(self-respect)」です。自己効力感とは、人生のチャレンジに対処する自信であり、自己尊重とは、自分が幸せに生きる価値のある人だと感じることだと説明します。では、クリスチャンはどこで自尊心を見いだすべきでしょうか?それは神様のみことば、つまり聖書です。聖書はクリスチャンの「自己効力感」について何と言われましたか?「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(ピリ4:13)と言われます。私たちは私を強くしてくださる主がおられるから、人生にやってくるすべての問題と苦しみに..

4月12日

感謝する人、感謝の一生 あなたは私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神。私はあなたをあがめます。(詩118:28) 人の心性は人生のすべての部分において深い影響を及ぼします。人生の成功と失敗がその人の心性によって決定付けられるとも言うことができます。このように重要な意味を持つ人の心性の中で、最も必要なのが感謝できる心です。すべてのことに感謝できる人はどこに行っても人々から好感を得ます。人から助けられた時に十分に感謝できる人は心性が優れた人として褒められます。あまりにも感謝し過ぎる人と非難されることはありません。私たちの人生にやってくることの良し悪しによって感謝と恨み、不平の間を行ったり来たりせずに、一貫した感謝でその瞬間を生き抜く人は美しいです。著名な聖書注解家であったマシュー・ヘンリ牧師は「感謝を捧げること(thanksgiving)はすばらしいことだ。しかし、感謝する人生(..

4月11日

回復の恵み イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17) イエス様が十字架で死なれた後、シモン・ペテロと何人かの弟子はガリラヤへと帰りました。ペテロがティベリア湖畔で漁に出ると、他の弟子も一緒について行きました。彼らはその夜は何も捕ることができずに朝を迎えました。よみがえられたイエス様は魚を一匹も捕れなかったペテロと弟子たちに会ってくださり、彼らはイエス様のみことばに従って船の右側に網を打ち、153匹の魚を捕ることができました。弟子たちが陸地に上がった時、イエス様は炭火をおこされ..

4月10日

故郷へ帰る寄留者 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(ヘブ11:16) 『人生は旅人。どこから来て、どこへ行くのだろうか?』という歌詞は人生の空しさをよく表しています。信仰のない人々は、人生がどこから来てどこへ行くのか知らないので、自らのことを旅人だと称し、諸行無常をうたい、死を恐れます。ペテロもやはり神様から選ばれた聖徒たちのことを「寄留者」と称しました(Ⅰペテ1:1-2)。この世はしばらく留まり帰る停留所に過ぎず、永久に住む故郷ではないということです。しかし、クリスチャンは当てもなく彷徨う旅人ではありません。故郷に憧れ、キリストとともに目的地に向かって歩いて行く旅人です。さらに私たちの旅路は寂しい道ではなく、イエス様ご自身がともに歩んでくだ..