ヨイド純福音教会 日本語礼拝部

Yoido Full Gospel Church Japanese Ministry

主の御名で歓迎します 자세히보기

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4月2日

復活の栄光 부활의 영광 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。(Ⅰコリ15:14) “그리스도께서 만일 다시 살아나지 못하셨으면 우리가 전파하는 것도 헛것이요 또 너희 믿음도 헛것이며”(고전 15:14) 終わりの日にある復活の恵みは、神様が与えられる贖いの働きの栄光のフィナーレであり、私たち救いの旅路その終着点にある栄化の段階です。 마지막 날 부활의 은총은 하나님이 베푸시는 구속 역사의 영광스러운 피날레이며 우리 구원의 여정 가운데 종착점에 있는 영화의 단계입니다. これはすべての信じる人々に与えられる祝福です。 이는 모든 믿는 자들에게 주어지는 복입니다. もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 만일 죽은 자의 부활이 없다면 그리스도께서 다시 ..

4月1日

消しゴムのお話 キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。(Ⅰペテ3:18) アメリカの出版人、ジョン・ブロックマンが約100人の科学者に「過去2千年間で最も偉大な発明は何か?」という質問をしました。印刷機、電気モーター、鋤、帆船、電球、テレビなど、さまざまな答えが出るなか、作家のダグラス・ラシュコフは『消しゴム』と答えました。彼は鉛筆についている消しゴムだけでなく、コンピューターの『デリート・キー』やボールペンの文字を修正する『修正液』など、人間のミスを修正できるすべてのものこそ、最も偉大な発明だと言いました。 多くの人々は人生の消しゴムが欲しいと思っています。自分自身にしてしまった小さなミスから、他の人の心を痛ませたり、傷つけたことに..

2021-03-31

2021 03 31感謝で始める365日 殉教者たちの感謝 "使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。" (使徒の働き 5章 41節) 聖霊に充満された初代教会の聖徒たちは、行く先々で大胆に福音をつたえました。 強力な聖霊の働きを通して数多くの人々が悔い改め、キリスチャンになり、当時世界の覇権を握っていたローマ帝国の中でキリスト教は目覚しいスピードで成長を遂げていきました。 ローマはこのような教会の成長を脅威と見なしてキリスト教を弾圧し始め、多くの聖徒が迫害され命を失うこともありました。 このような大きな困難の中でも、多くの初代教会の聖徒たちがイエス様を見上げるなから、苦難に屈しない殉教の信仰を示してくれました。 使徒ヨハネの弟子だったポリコップは、火刑される前に「主は私を一度も虐待したことがないのに、私がどうして義の王であり、イエ..

2021-03-30

2021 03 30/感謝で始める365日 私たちを罪から救おうと "竪琴に合わせて主に感謝せよ。十弦の琴に合わせてほめ歌を歌え。" (詩篇 33篇 2節) 新しい賛美歌260章「私たちを罪から救われよう」というピーター•ビルホーンが初めて神に会った時のことを思い出しながら作った詩に曲をつけたものです。 私たちを救うために血を流した神様の愛に感謝する気持ちを込めた賛美です。 貧しい家庭環境で育ち、早くから生活の全線に入ったビルホーンの唯一の趣味は、歌うことでした。 彼は魅力的な声を持っていて、あちこちに招待されて歌を歌いました。 そんなある日、シカゴのある酒屋で歌を歌っている彼に一人の人がちかよってきました。 彼は「あなたが持っている美しい声を善いことに使ってほしいです」と話し、ムーディー牧師のリバイブル会に招待されました。ムーディー牧師のリバイブル会の初日、主に会った彼は、12日間行..

2021-03-29

2021 03 29/感謝で始まる365日 戒めと感謝 "もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。" (ヘブル人への手紙 12章 8節) へブル人への手紙は「すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。」と言います。 ここで「私生児」は奴隷や妾から生まれた者です。 当時ローマ社会で私生児として生まれた人は、父から遺産を相続できないのはもちろん、教育も関心も、まして、戒めを受けることができない身分だったといいます。 もしキリスちゃんが間違って生きているのに神様の戒めがなければ、そのような人は神さまの子供でもなく、神さまの遺業を相続することもできません 。 反面、戒めを受けるということは神さまの子供であることを現す証拠です。 それ故に私たちは戒めと苦難を耐え忍ばなければなりませ..