2022.09.25 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇91:14~16) ▷ 賛美歌382番 (旧432番)
平安を与えるためである
(イザヤ書 38:1~3、17)
この世を生きる間、誰にでも死は近づいてきます。そのため神様の子どもになった私たちはどのような人生を生きるのかだけでなく、どのような姿で死を迎えるのかに関しても大切に考えなければなりません。
1.病気になって死ぬようになったヒゼキヤ王
ヒゼキヤ王が病気になった時、預言者イザヤが訪れて、彼が死ぬようになることを伝えました(イザヤ38:1)。ヒゼキヤは、一生涯神様に仕えた王でした。宗教改革を通して偶像と高き所を打ち壊し、神様だけ全的に委ねてアッシリアの大軍を追い払うことができました。しかし偉大なヒゼキヤ王も重病にかかり死の前に置かれたのです。このように人間の生老病死は、全て神様にありますので、すべての人は各々に任された人生を生きながら時になると死を迎えるようになります。それゆえ私たちは神様の御前で弱い存在であることを悟り、神様だけ全的に委ねなければなりません。主の中でいつも最後だという心構えと考えで毎瞬間、最善を尽くす人生を生きるようにお祈りします。
2.神様に祈ったヒゼキヤ王
ヒゼキヤ王は死という絶対絶望の中で大声で泣きながら神様に切に祈りました。神様はヒゼキヤ王の祈りを聞いて預言者イザヤを通して「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た」と語られました(イザヤ38:4-6)。そしてヒゼキヤ王の病を癒されただけでなく、彼の寿命15年も加える恵みを与えられました。今日私たちも人間の力で解決できない問題にぶつかって絶望に捕らわれる時があります。神様の子どもになった私たちは、絶望の状況で留まることでなく、絶対希望になられる主に大声の祈りでしがみつかなければなりません。そうする時、神様が私たちの祈りに答えてくださり、私たちの涙を拭い取ってくださり、すべての苦しみから救い出してくださいます。
3.平安を与えられる神様
ヒゼキヤ王は神様が「私の味わった苦い苦しみは平安のためでした」と感謝の祈りを捧げました(イザヤ38:17)。主が私たちに苦難を許された理由は私たちに平安を与えるためです。私たちが苦難の中でも主に叫び求めると主が私たちの心に近づいてくるすべての心配、悩み、苦しみ、不安を無くしてくださり、平安を与えられます。それだけでなく、主が私たちを絶望の穴から救い出してくださり、すべての罪を赦し、新しい人生を生きるように導いてくださいます。いつも主の大きな恵みと愛に感謝し、切なる祈りを通して主から与えられる真の平安を享受して生きる聖徒の皆様になるように主の御名でお祈りいたします。
日本語礼拝 | 主日午後1時から | 第二教育館10階1001号室 | 連絡先02‐6181‐6178 |
日本の為に日本人と韓国人たちが一緒に集まって日本語で礼拝を捧げます。お気軽にご参加ください。
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