2022.07.31 2、3、4部 ▷ 招詩 (詩篇145:8~12) ▷ 賛美歌384番 (旧434番)
何が見えますか
(マルコの福音書 8:22~25)
人には3種類の目があります。環境を見る肉身の目、人の考えを見る心の目、神様を見上げる霊の目です。キリスト人はこの世を生きる間、肉身の目ではなく、霊の目で主だけ見上げながら生きて行かなければなりません。
1.私は盲人ではないか
肉身の目を開いていても、イエス様を信じない人は霊的な盲人です。また自分のことばかり考えて、他人のことを理解してない人は心的な盲人であります。イエス様がベツサイダで盲人の目を見えるようになされた時、パリサイ人たちはイエス様を信じず批判しました。結局盲人であった人はイエス様を信じて霊の目が開かれる恵を受けましたが、パリサイ人たちは霊的、心的盲人になってイエス様を十字架に釘付けてしまいました。今日も肉身の目は開いていますが、相変わらず霊的、心的な盲人として生きている人々がいます。私たちはイエス様を信じ、新たな人になりましたので聖霊充満を受けて、霊の目、心の目、愛の目が開かれる人生を生きて行かなければなりません。
2.盲人の目が見えるようになされたイエス様
イエス様が盲人の目に唾をつけて按手した時、盲人の目が見えるようになりました(マルコ8:23)。当時民間療法で治療のため傷がある所へ唾をつけることはよくあることでした。しかし普通の人々がこのような方法で目の見えない人の目が見えるようにすることはできませんでしたが、イエス様は目の見えない人の目が見えるようになされました。イエス様は絶望に落ちた盲人一人を尊く思われ、愛されたため大きな恵みを与えられました。今日もイエス様が私たち一人一人を大切に思われ、愛してくださいます。それゆえどのような絶望的な状況の中でも諦めず主の御前に出て行ってください。主が私たちを触ってくださり、按手してくださる時に驚くべき奇跡を与えてくださいます。
3.何が見えますか
目が見えるようになった盲人は見えるのは見えましたが、しっかり見えたわけではありませんでした。そしてイエス様が「何が見えますか」と聞かれた時、彼は人々を見て「木のようですが、歩いているのが見えます」と答えました(マルコ8:24)。イエス様が彼の目にまた按手された時、すべてがしっかりと見えるようになりました。信仰生活も同じです。最初には信仰をしっかり分からず、聖書の意味を完全に理解することもできません。それゆえ日々祈りに集中して御言葉を黙想しながらイエス様の中で霊的に成長して行かなければなりません。そうする時、私たちの霊の目が見えるようになり、すべてを正しく見て、正しく判断することができます。主の中で霊の目を開いて成熟な信仰の人になり、神様の栄光のため生きる聖徒の皆様になるように主の御名でお祈り申し上げます。
日本語礼拝 | 主日午後1時から | 第二教育館10階1001号室 | 連絡先02‐6181‐6178 |
日本の為に日本人と韓国人たちが一緒に集まって日本語で礼拝を捧げます。お気軽にご参加ください。
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